たろぁーるの日記

たろぁーる氏が書いているぶろぐ。主にアニメとかマンガとかテレビの感想と一人言。ネタバレ結構あります。

3月終了アニメに見るメタ化

というわけで,一応全部終わったようなので,総括…といきたいところですが,ちょっと話題を絞って書くので,もう一回別途書くかも知れません。
今期終了のアニメを見ていてずっと思っていたのは,

  • アニメであることを(キャラもしくはスタッフが)自覚してネタにしている
  • 現実のメディアがネタであることをネタにしている

という種類の作品が目立っていたという事です。これらをわたしは「メタアニメ」と呼ばせて頂きます。「メタアニメ」というのはニニンがシノブ伝の最終回の感想の時に書きましたが,いわゆる作中の中に視点があるのではなく,その外側にある作品のつもりで呼んでます。まぁシノブ伝はキャラ自体が自分達の番組を見ていたりしてあまりにもストレートなメタぶりなんですが,キャラ自体が自覚してなくても,アニメじゃないとやらないことをキャラにやらせてみたり(月詠スクールランブル),ナレーションとかが内容に突っ込んでみたり(グレネーダとか)する…とかそういう作品の事です。もちろん昔の講釈師とかでもあるように作品自体をネタとして突っ込むというメタ的な作品は昔からあるのですが,月詠に関してはストーリがおまけであるかのごとくのネタっぷりでしたし,だんだんこの手のメタ化は過激になっている気がします。
メタ化というのは確かに過激な事が出来るのですが,ある意味作品の作品性自体を否定してしまって,やりすぎるとかえって鼻につくような気がします。自由というのは制約があって意味をなすわけで,はじめっから制約を受けない形で作っても,カタルシスが無いという事からです。ついでに書くと馬鹿アニメも一種のメタ化だと思います。今期のm.o.e.の作品とかもスタッフが完全にメタ視点で作ってますし。
そういう意味でいうと,今朝終わった舞-HiMEも登場人物自体はアニメであることを自覚してませんが,どうもこれも扱っているストーリ自体を最後にネタにしてしまった感があります。もちろんそれは最終回の引っくり返し…だけではなく,途中何度もそういう感じをうけました。
まぁついでに書くと次回予告でメタ視点でキャラに喋らせるのは舞-HiMEはもちろん,まほらばとかも含めもっとたくさんあることになります。まぁこっちはそれはそれでお遊びなのでいいのですが…。
あと上の二番目に書いた「現実のメディアがネタで…」ってやつはもちろん,スターシップ・オペレーターズアムドライバーの事を指すわけですが,これに関してはメタアニメではないと思うのですが,我々が現実を観るときにメタ視点を喚起させる…っていう意味で印象に残りました。
メタ化…というのは一歩ひいて見るって事であり,物事を相対化して冷静に判断できる…っていう意味では,現実に対する視点において行うことは意味があるのでしょうが,アニメという作品自体を相対化する…っていうのは果たしていいことなのだろうか?…と思ったりもします。
そういう意味でいうと,全くメタ化せず登場者の視点のみで(演出こそ演劇的な部分もありますが)まじめに描いた巌窟王ファンタジックチルドレン,そしてBECKとかこそが正統派のアニメ作品であり,それゆえにこの三作品が王道だった気がします。
まぁ王道ありメタアニメあり…ってことでいろいろあって良かったね…って事なのかもしれませんが,王道作品は何度似たような話が出てきても楽しめるのに対して,メタアニメはそのハズレっぷりが売りなので,何度も同じやり方が出来る感じもせず,そういう意味でいうと,この手の作品が増えるのはそのうちネタギレにならないか?…という不安も感じないでもありません。