たろぁーるの日記

たろぁーる氏が書いているぶろぐ。主にアニメとかマンガとかテレビの感想と一人言。ネタバレ結構あります。

聲の形

石田将也は小学6年生の時に転入してきた聴覚障害者である西宮硝子をクラスのみんなといじめやカラカイを行う。しかし硝子からクレームもありクラスで問題になった時にその責任はすべて将也に押しつけられ,その日から将也はクラスのみんなから虐められる存在になる。そこから自分を押し殺し誰とも仲良くならずに高校生になった将也。母親が弁償した硝子の補聴器代170万を母に完済し自殺しようとしたが,思いとどまる。高校で硝子と再会したが,なかなか接触できない。クラスメイトの顔も名前も覚えず閉じこもり過ごしていた将也だが,ふとしたことで永束というクラスメイトと友達になる。そして硝子の妹,硝子自信と交流するようになる。小学校時代の友人たちとも徐々に接触していくが,小学校のいじめのこともあり,将也は何度もぶつかってしまう…というような話。
原作の漫画でおそらくリメイク版というのを雑誌で読んだのを覚えている。その後連載になったらしいがそれは読んでいない。リメイク版を読んだときは,悪い作品ではないが,ちょっと自分には引っかかるところが多く読もうとは思わなかった。なので映画になったという話を聞いた時も,見ようとは思わなかったが,今回Eテレでやってるのを見た。
おおざっぱな感想を書くと,おもったより良かった。私は自分が音の関連の仕事をやってることもあり,聴覚障害のこともある程度は知っている。個人的には障害を感動の仕掛けの様に使う作品はあまり好きじゃないが,聴覚障害の場合,なおさらそう思うので,そういう作品だと嫌だなと警戒していた。でも,この作品では,確かに聴覚障害は硝子の大きな特徴ではあるが,障害者を美化するようなところはあまりなく,むしろ登場人物の子供ゆえ,若者ゆえのコミュニケーションの下手さ,が主題として描かれてるようにも思った。
あと実はいじめを描く作品もいろいろと抵抗があるのだけど,今の時代,小学生の人間関係の負の部分を描こうとすると,やっぱりいじめの問題になるのは仕方ないのだろうなぁと思う。障害をいじめのネタにするのは最低だと思うが,小学生の中では実際にはそういうことはあり得るだろう。補聴器が一個数十万することは自分は良く知ってることだが,小学生がその価値をわからず壊してしまう事あるかもしれない。普通は1個が壊れた時点でクラスで問題にすべきだけど,硝子が先生に黙っていたのだろう。
そう,見ていて思ったのは,ここにでてくる人たちは,みな生きるのが下手な人たちばかりだということ。小学生,高校生の主人公たちもそうだが,意外に硝子の母親とかもそうである。安易な作品だと硝子みたいな障害者を無垢か悲劇の人の様に描きそうだが,作中でも述べられるように,硝子が安易に謝ることで人間関係を壊しているようなところもある。
将也の子供のころに安易な行動により,そのあおりを自ら受けてしまうわけではあるが,失敗した彼が,少しずつ立ち直っていく話ではなく,硝子へのいじめに加担した,クラスメイトすべての,どこかずれてるところがあらわになっていく。登場する人物は皆,どこか人付き合いが下手で,自分の視点のおしつけや防御で殻を作り,相手の話をちゃんと聞けたり理解できたりしていない。そういう中で起きるぶつかり合いの話だった。永束だけかな,そういう意味で負の部分がほとんど描かれないのは…。
将也からみた他人の顔にすべてバッテンが貼られているのが面白い表現だった。将也が他の人を見ようとしない,声を聞こうとしないというメタファであり,これが取れるのが,話のエンディングであった。まぁでも将也はそんなに大きく変われたのだろうか?という気もした。
京アニらしく,とても美麗な映像であるが,主人公たちが美男美女過ぎて,そこのリアリティにも少し引っかかった。硝子は美少女として描かれているが,これが,見た目ぱっとしない女の子だったらどうだったんだろう。これは原作を読んだ時も引っかかったところではあるが…。京アニのアニメでさらにそう思った。ヴァイオレットちゃんみたいな美少女なので。ただ硝子も将也も服装がダサく描かれており,それは計算なのだろうけど,そこは好感が持てた(w。
…というわけで,もう一度書くが,見る前に警戒していた気になる点はあまり気にならなく,総じて良い作品だとは思った。ただ,楽しいわけでもなく,大きなカタルシスが得られるわけでもない,こういう作品がヒットするという日本のアニメシーンってすごいよなぁとも思う。