たろぁーるの日記

たろぁーる氏が書いているぶろぐ。主にアニメとかマンガとかテレビの感想と一人言。ネタバレ結構あります。

マリア様がみてる〜春〜 9話:ロザリオの滴

乃梨子志摩子ははれてスールにぃ:-)。
映像化されてあらためて思いましたが,現山百合会の中では,乃梨子,一番大人なのでは?。というか人間関係という面において…。山百合会の中の人達の心の中を察して,自分がやるべき事を冷静に判断できるという点において…。
先代で一番冷静で策士だった蓉子様ですら聖の事になると「おかしくなる」くらいだったの*1に。乃梨子の今回の行動を思い出すのは,むしろ先々代白薔薇*2。聖の危うさを見抜き,自分が守るためにスールにした,今回の乃梨子の行動とだぶります。
考えてみたら聖と志摩子は似た者姉妹で,それで寄り添って過ごしたけど,先々代と聖は守り守られるもの,そして乃梨子志摩子でそれは対照になっているように思います。「愛する」ということは,「与えること」と「求める」ことの両方が存在するのですが,結局,聖も志摩子も好きなものを過剰に求める事で愛する性格で,愛するものから裏切られることを異常に怖れていたのかも知れません。それゆえに聖は関心がないものにはとことん無関心になりで好きなものにだけのめり込むのでしょう。志摩子がシスターになりたがった理由は小説でも語られてませんが,もしかしたら,現実の人間に求めることを恐れか諦めがあって,それゆえに神なら自分を受け止めてくれるかも知れないと,思ったのかも知れません*3
であれば,似た者姉妹である聖が志摩子を救えない(迷宮から抜け出せない)のは当然で,志摩子は聖の姉の様に,寄り添うように守って導いてくれる乃梨子が必要だったのでしょう。聖を救ったのは先々代と志摩子だけというよりは,先々代,蓉子,そして最終的には求めるだけではなく与える愛し方を実践させてくれた祐巳だったわけでしょう。
そういう意味であれば,乃梨子志摩子を守っていますが,志摩子が無償に与えられる存在が現れたとき聖の様に吹っ切れるのかも知れません。それが乃梨子の妹なのか別の人なのかはわかりませんが…。
乃梨子山百合会(リリアン)の人間関係に対して冷静にいられるのは高校からリリアンに来たため,スール制度にあまり幻想をもっていないからかも知れません。蓉子様ですら中学からリリアンですから。そういう意味じゃ「妹はもたない」と宣言してスール制度の外にいる蔦子さんがわりと冷静に人間関係を観ているのもうなずけます。
ところで,聖様…。スタッフに愛され過ぎ…。今回回想が効果的に使われてましたが,単純に聖を出したかっただけでは?…と思ってしまいました。
あと,冒頭で「なにかきっかけがあれば」という祥子さまのセリフは小説になかった気がしますが…。
[追記]というか,ちょっと接続詞いじりました。

*1:白き花びらのセリフ

*2:スーパーロサギガンティアと呼ばれるあの方

*3:キリスト教の神はそんなに甘くないけどね。信仰してる人にも試練を与えますから